【ヨーガ実践記10】悟りの段階と禅の魔境

ヨーガの目的は、行き着くところは悟りになるわけだけど、実は悟りには段階があるそうだ。

僕が現在取り組んでいるヨーガでは、5段階(でも、そこまでいくと更に先があることを知るらしい)

仏教においては52段階もあるとされている。

僕が師事している成瀬先生の本を読むと、悟りの最初のプロセスで勘違いしてしまうことを戒めている。

瞑想をしていると、何かが見えることがある。神様が見えたり、宇宙と一体になったような気がすることがある。

そこで「われは悟った」と勘違いしてしまう人が、カルト宗教を教祖になったり、霊能者になったりする。そうなってしまった人はそこで止まる。せっかく入り口に立ったのに、先に進むことが無くなってしまう。

面白いことに、禅にも同じ戒めがある。魔境というものだ。

「仏見たなら仏を殺せ」という教えも、魔境を防ぐためのもの。

 

さっきも書いたけど、悟ったと勘違いしていまうとおかしなことになる。禅では野狐禅という状態。別の言い方、スピリチュアル的な言い方をすると、低級霊がついて霊能力が身についた状態って感じかな。

悟りの段階は「行き着いた」と勘違いしなければ、どこまでも先がみえてくるみたいだし。

あの白隠禅師だって「大悟十八回、小悟は数知れず」と言っているわけで。

小悟1回くらいで、勘違いすることがいかにもったいないかがわかる。

 

瞑想の注意点として、つらつら書いてきたけど、大事なのはちゃんとした指導者につくことだと思う。

まともな指導者であれば、間違っておかしな方向にいかないように教えてくれる。行きかても、危険だとわかっているので注意できる。

マインドフルネスも流行っているけど、瞑想の危ない部分も知っておかないと危ないかもしれない。

野狐禅になって、半端な霊能者やカルトの教祖にならないように。