太田姫稲荷神社 いもあらい坂と小野篁

2019年11月20日

地下鉄新御茶ノ水駅を降りて、ゲームバーLucyに向かって歩いていたときのこと、途中の道に太田姫稲荷神社を見つけました。

普段は自転車で移動するので、この道を通るのは初めてだったのです。

事前に予習をしていないので、どんな神様が祀られているのかもわからない。

だから今回はスルーするか?

神様も知らないままに参拝するのは失礼ですもんね。

ですが、今はいいものがあるのです。

早速スマホで検索。太田姫稲荷神社のことを調べました。

太田姫稲荷神社(一口稲荷神社

御祭神 宇迦之御魂神

相殿神 菅原道真公・徳川家康公

社号が稲荷なので、宇迦之御魂神はすぐに分かるのですが一緒に祀られている神様は調べないとわからないものです。

と思ったら、

神社の中で読めばよかったのでした汗

別名一口稲荷神社(いもあらいいなりじんじゃ)

一口と書いて「いもあらい」
知らないと絶対に読めないと思う。

小さな神社なのだけど案内には「窮めて豊かな霊験伝承と、古い由緒をもつ神社であります」とあるだけあって、話がギュッと詰まっているみたです。

一口稲荷神社の話に出てくるのは、あの小野篁。平安時代の天才です。

小野篁を祀っている神社はこちら

 

太田姫稲荷神社の由緒のあらすじ

遣唐副使に選ばれた小野篁でしたが、上司に陥れられ島流しになってしまいました。

流刑地への出発に出向したところ海が大荒れ、船が沈没するかもしれないピンチに!

小野篁はへさきにすわり、観音経を唱えると白髪の老翁が現ました。

「君は非常に才能がある人間だから、すぐに都に呼び戻される。しかし疱瘡(天然痘)にかかると命にかかわる。私は太田姫の命である。私の像を常に祀れば病にかかることはない」

と告げ、姿を消しました。

お告げ通り、小野篁は翌年に都へと呼び戻されることに。

小野篁は自分で彫った太田姫命の像を護持していましたが、後に山城国( 山城国は今の京都の南部)の南にある一口(いもあらい)の里に神社をつくって、祝い祭ったということです。

ここまでは、勧請もとの京都の太田姫稲荷神社の話。

由緒には、荒れた海がどうなった?が描かれてないんだけど、たぶん収まったんだよね?

江戸の開祖、太田道灌の娘が疱瘡にかかったときのこと。

ある人から一口稲荷神社の話を聞き、すぐに使いを出して祈願をすることに。

数日後に使いが祈祷の一枝と幣をささげて帰ってきら、姫の病が拭うように癒えた。

太田道灌は一口稲荷神社を崇敬し、本丸に社を建立。

姫も深く信心をしてたが、あるときこの神が白狐を現して、「われこの城の鬼門を守るべし」と託宣したので、社を鬼門に移して太田姫稲荷神社と奉唱するようになった。

移された先が、 一口坂(淡路坂)

疱瘡のことを「えも」といって、疱瘡を洗って治るのを祈願するから、「えもあらい」「いもあらい」ってなったんだって。

たくさんある一口坂とか芋洗坂とかは、疱瘡神に関わる由来があるみたい。

現在の場所は、御茶ノ水駅の拡張工事に伴って移転されたとこ。

おや?狛犬はどこだろう?

鳥居の右の足元に一体だけいました。

なぜ、外にお尻を向けているんだ?

手水舎にはいるのは・・・鯉かな?

これから滝をのぼって龍になるってことかな。

「神社の参り方」みたいなサイトで、たまたまた見つけた神社にふらっとよってはいけません。
みたいなことが書かれていることがあるけれど、僕は何かの縁だからOKだと思うんだ。

社殿に自分で押すための御朱印がありました。

あったのはここ。

ここの社務所は普段は閉まっているようです。
セルフでおす御朱印はありがたいサービスかも。

僕はこのとき御朱印帳を持っていませんでしたが汗

社殿の脇から本殿に近づいてみましたが、気持ち良い感じがしましたよ。

帰りがけに撮影した淡路坂(一口坂)

写真の左にちょっと写っているのが御神木で太田姫稲荷神社本宮。

もともとはここに太田姫稲荷神社があったようです。

あ!太田姫稲荷神社本宮はここにあったのか!

写真撮ったときは気が付かなかった・・・

後日とった元宮の写真。

知らないと見落としてしまいそうです。

太田姫稲荷神社

所在地:東京都千代田区神田駿河台1-2-3
駐車場:なし